KSB開局50周年記念特別企画

番組ロゴ 中村 勘九郎

番組紹介

現存する日本最古の芝居小屋、香川県琴平町の旧金毘羅大芝居(金丸座)で4月に開かれた「四国こんぴら歌舞伎大芝居」。35回の節目の公演で座頭を務めたのは、中村勘九郎さん。弟の中村七之助さんや、中村扇雀さん、市川中車さんらが脇を固める。こんぴら歌舞伎スタートの立役者、故・中村勘三郎さんの「果たせなかった約束」を背負って舞台に立つ俳優陣、公演を支えてきた琴平町民の思いとは?
今回の演目の見どころや、昭和から平成、令和へと引き継がれる江戸のエンターテイメントの魅力も分かりやすく伝える。

出演者

出演者

(敬称略)

金丸座の魅力・こんぴら歌舞伎のルーツを探る! 金丸座の魅力・こんぴら歌舞伎のルーツを探る!

江戸時代の姿をそのまま残す金丸座。役者や歌舞伎ファンを魅了する芝居小屋の魅力とは?
また、琴平の街を歩きながらこんぴら歌舞伎のルーツを探ります。

堀口 茉純/丸尾 寛 教授 堀口 茉純/丸尾 寛 教授

みんなの投稿

「こんぴら歌舞伎」の思い出募集に沢山の投稿、ありがとうございました!
こんぴら歌舞伎への愛を感じるエピソード、番組と併せてご覧くださいませ。

みなさまの投稿をご紹介!

  • 私が子宮癌の子宮全摘出を受けたのは、平成11年10月でした。5ヵ月の病気療養休暇を頂き、職場復帰は、翌年4月12日でした。癌と転移と再発を恐れる毎日でした。母も心配で、休まず行っていた「表装」の公民館活動も休み、私のそばにいる生活でした。そんなある日、香川県の大学に行っている次男から「金毘羅歌舞伎の入場券」2枚が送られてきました。「快気祝」とかで、歌舞伎を見て気分転換しろとのこと。バイト先の方に「お母さんに」といって、私のために入場券を譲ってくれたとか。学生だから、アルバイト料をはたいて購入してくれたのでしょう。子を思う母の思いと、子の心憎い「思いやり」が私の病魔を一撃してくれました。しかし、4月12日の入場券なので、12日は有給休暇を取り母と電車に揺られ「駅弁」を頬張りながら金丸座に向かいました。尾上菊五郎さんと菊之助さんの親子共演で、演目は「義経千本桜」か「仮名手本忠臣蔵」「近江のお兼」だったか忘れました。ただ、金丸座ならではの桟敷の狭さを感じ、連日の興行で白粉のついた黒襟を間近に見えたり、花道を出入りする役者さんや華やかな踊りに見入り病気を忘れて、感激しました。仕事で遅れて合流した夫と道後温泉に向かい体も癒しました。あれから金毘羅歌舞伎に何度か通いました。歌舞伎役者として改名されて大成された役者さん、名跡を残して他界された役者さんの在りし日の姿を「歌舞伎座」でなく近くの金毘羅歌舞伎で見られて幸せです。おかげで、今春、大学病院のDRから「20年経ちました。もう大丈夫ですよ。」と、通院生活を卒業できました。私の癌を撃退してくれた「金毘羅歌舞伎」と息子、支えてくれた家族、そして今は亡き母に感謝しています。

    岡山県:60代女性

  • 今年、第35回、こんぴら歌舞伎念願叶い、初めての鑑賞A席で役者さんが目の前で拝見できました。中車さん、七之助さん、勘九郎さん…(1)義経千本桜すし屋(2)心中月夜星野屋、それぞれ予習をしての鑑賞だったので、とても芝居の内容が理解でき、敷居が高い?と思っていたのと違い楽しかったです。思い出の中には今回だけだったと笑えることが。勘九郎さんが(2)の舞台に早変わり??金栗四三役のスタイルで花道をゼッケン姿で本当によい思い出となり、満足致しました。

    岡山県:60代女性

  • お茶っ子(ボランティア)8年目でした。大木戸かがんで、くぐるので、お客様に気を付けてと、手をそえたら、ゴツンの音に苦笑い。平場奥の席、手荷物持ち上げてお客様、手に手を取り合って席までたどり着きホッと一息。花吹雪、歓声を聞いて終演後、席いっぱいの神の花、頑張って掃いたり。お見送りの時、お客様に「お疲れ様」と言ってもらいホロリ。公会堂で着付けをしてもらって、慣れない着物に転げそうになるし、坂道をドキドキしながらペンギン歩き。公会堂での休憩中には年1度の井戸端会議。楽しい思い出がいっぱいです。来年のボランティア参加も楽しみにしています。

    香川県:女性60代

  • 私のすぐ前を市川中車が歩いたのです。花道と仮花道に渡してある細い板(歩み)の上を衣装の裾が触れるぐらい近くを歩いていきます。夢のような瞬間でした。4月9日(火)の午前、第一部の義経千本桜「すし屋」と新作歌舞伎「心中夜星屋」を1階A席6の1番で鑑賞しました。とても楽しく、幸せ一杯でした。というのは、2月24日(日)こんぴら歌舞伎チケット松竹に10時になるのを待って電話をしました。すると、「3月16日(土)・17日(日)10時から17時までに、こんぴら歌舞伎事務局に申し込んでください。18日(月)からは、9時から17時までです。」とのことでした。待ちに待って、16日(土)10時少し前から電話しましたが話し中(?)でつながりません。40分以上続けましたが同じです。もうあきらめていたのですが昼過ぎて、やっとつながりました。が「満員」とのことでした。それでもあきらめきれずに、17日・18日・19日・20日と思い出しては電話をかけてみましたが「満員」ばかりです。それでもあきらめ切れずに3月中は続けました。とうとう4月5日(金)琴平での同窓会の日が来ました。はじめてのこんぴら歌舞伎はすっかりあきらめました。そして14時からの「御練り」を待って待って迎えました。中村勘九郎・中村七之助・市川中車・中村扇雀他の役者さんが乗った人力車を興奮しながら見送りました。友だちが「いだてん」と大声で叫ぶと、勘九郎さんが振り向いてくれ、とても喜びました。4月8日(月)に観音寺市の友だちから「キャンセルが2枚手に入った。明日9日(火)10時から」という電話をもらい、早々6時46分の津山線で出かけました。前庭には人・人・人の波、この中でお弁当を食べて袴姿のやさしいお姉さんに案内されて席に着きました。「すし屋」では、市川中車の弥左衛門と中村勘九郎の権太、父子の秘めた心遣いが切なかった。勘当されていた権太が隠した金の入った酢樋と父親弥左衛門が平維盛の首として差し出すための若い男の首を隠した酢樋とを取り違えた時はおかしくもあり「どきり」としました。最後の場面で弥左衛門が権太の腹に刀を突き刺した。この時すでに父親の考えを察していた勘当息子の「ひらめき」に親子の以心伝心の心情の妙に驚きました。また、権太が女房と子供を維盛の女房と子供の身替りにして梶原に連れて行かせたことを話して息絶える場面に何とも言えない無常を感じました。「心中夜星屋」照蔵(中車)からの別れ話の中、つい心中の約束をしてしまった。おたか(七之助)は母のお熊(扇雀)に心中を避けるコツを習い、吾妻橋で先に照蔵をとび込ませて、母親と家に帰る。そこへ来た藤助(亀蔵)から、「照蔵の幽霊が恨みを晴らす」と聞いて、恐ろしくなり髪を下した。そして死にそこねた照蔵が現れて、全てがわかります。人間の本性のかけひきをリアルにコミカルに描いたものでした。とても愉快に観劇しました。しかし、つきつけられたものはすごく重いものでした。この本性(人のどろどろしたもの・自分中心の考え方)を持った人間。私は今後、理性と良心をコントロールして、さわやかに生きていかねばと思いました。このコントロールは特に物事の最後の決断の時、必要に思いました。金毘羅歌舞伎の楽しさを知りました。

    岡山県:70代女性

  • 平成元年初の歌舞伎を後舟席で見てから連続31回、様々な席から平成のこんぴら歌舞伎を見たこと。

    香川県:70代女性

  • 総合センターで抽選ハガキを交換するため並んでいた時に、ひょんなことから同じ亀治郎ファンの女の子のグループと意気投合!おまけにリーダー格の彼女が、ある落語家さんのお弟子さんで、その後その落語家さんの襲名落語会まで。又、一年後並んでいたらまったく知らない人からあんた去年の子、きとんな?

    香川県:60代男性

  • 2006年9月、十八代目中村勘三郎襲名口上の時、舞台の奥からなんと写真家の篠山紀信さんが出てこられて、勘三郎さんたちといっしょにパチリ。それが、和楽という雑誌(2007年1月号)の勘三郎特集号別冊写真集に。義母と主人と3人写っています。一生の宝物です。

    香川県:60代女性

  • 私と歌舞伎、昔大阪の歌舞伎座を見て、こんな立派な建物にどんな人が行くのだろうと、思ったものです。琴平と云えば、私の祖父が海運業をしていたお陰で小さい頃から毎年、海の神様「琴平宮」へお参りし、「へそまん」「五人林の飴」を買ったものです。忘れられない琴平へ歌舞伎が来るとのこと。私とは別世界と思っていました。気にとめてなかった事、知人は入場券を手にする事に誰かれとなく名前を借りてハガキを50枚と出し、それでも券が入手できないのが歌舞伎でした。やはり別世界と、あきらめていました。香川で住み、琴平を目の前に、絶対一度は行きたく思っていた頃、知人の方から入場券を手にする事が出来たのです。その時、とっても嬉しく当日は楽しみにしたものです。久しぶりの歌舞伎座。多くの人々と共に、初めて入る世界。はじめは、胸がドキドキの2時間でした。私にとって夢の世界。足の痛さも忘れ、感動でした。テレビではなく、実演は本当にすごいです。あきらめていた歌舞伎座も、今は楽しみの世界です。毎年行っている私に、友人はそんなに歌舞伎座はいいのか…って聞かれます。私はいつも自信を持って「私の夢の世界。全てを忘れて夢中になり、感動する二時間」と話します。今からも私の体力と入場券が入手できる限り、毎年を楽しみに出来る歌舞伎、琴平の皆さんにお世話してくださる方々に歌舞伎をありがとうと伝えたいです。今年は、イスで座布団で楽でした。

    香川県:70代女性

  • 十年以上前になりますが、私にとっても初歌舞伎は金丸座で、友人三人での鑑賞でした。
    舞台から2列目か3列目の花道すぐ脇の桟敷席でした。当時、中村勘九郎、勘太郎、七之助と親子3人の共演でした。
    長男勘太郎さんが旅姿で花道途中で、しゃがみこワラジを直すシーンが私達の目の前であり、この時懐に入れていた印籠が桟敷席の中に落ちてきました。
    すぐに友人がそれを拾い上げ、勘太郎さんの足元に置き返しました。勘太郎さんは何事も無かったように懐にしまい、去って行きました。これも金丸座ならではの事と思います。

    岡山県:60代女性

  • 最初にこんぴら歌舞伎を見たのは、七回の時でした。花道から、いきなり先代の勘九郎さんが、目の前に現れて、もう大興奮。「吉野山」では、劇場の中も外も桜満開で生のおはやしの中で、うとりと夢の中にいるような気分でした。それからは、勘九郎さんの大ファンになり、数年後のお練りの時、人混みをかき分けていって握手してもらったのは、忘れられない思い出です。今年、御子息の勘九郎さん、七之助さんの舞台を見て、かつて幼い二人が客席の隅でお父様の芝居を食い入るように見ていた姿を思い出し、月日の流れを感じました。

    香川県:70代女性

  • もう30年前くらいですが、学校の体験授業かなにかでこんぴらさんにお参りにいき 金丸座劇場の見学もさせていただきました。 たしか地下に手でグルグルまわすお盆の装置もあったんですが 今はもう作りなおして機械化なんでしょうか。 それともいまでも人力で動かしているのでしょうか。 是非番組内でそういう奈落の様子の現在も紹介してほしいです。

    香川県:40代男性

  • 私は現在92歳です。大阪市で成人して現在四国高松で生活しています。平成29年四国こんぴら歌舞伎大芝居を親しい友人数名と一緒に見物しました。私の実父は必ず毎年一回家族一緒に歌舞伎を見て、帰りに近くの食堂でいなり寿司を食べて帰る行事を愉しんでおりました。何十年か振りに本物の歌舞伎を愉しむことができて、懐かしいと同時に歌舞伎の芸に心を揺さぶられて、嬉しく感激しました。長生きをして、楽しい昔を偲び、味わえた喜びは、人の何倍も嬉しく思っております。人生に感謝です。

    香川県:90代女性

  • 八十八才(当時)の母が生まれて初めて観た歌舞伎は、市川猿之助さんの襲名披露公演でした。桟敷、天井に吊るされた大きな提灯、あの福山雅治さん制作の大きく顔を描かれた白地の緞帳。きらびやかな、お衣装。演目は定かではないのですが、その終わり近く、掛け声と共にパッと散った紙吹雪。最高潮です。その時の母の顔はまるで童女。もしくは、恥じらう若い乙女にも思えました。翌日、タクシーで金毘羅さんの中腹まで上り、上へは無理という彼女を、両脇から妹と抱えるようにして四百段足らずの石段を降りました。満面に喜びを表した母。おかあちゃん、私も嬉しかったよ!

    岡山県:60代女性

  • 既に35回目を迎えるこんぴら歌舞伎ですが、実はまだ一度も観劇したことがありません。とはいえ興味がないわけではなく、仕事の都合上どうしても時間が取れないだけで、毎年この季節が近づくと「今年は誰が来るんやろなぁ」とか言って家族で話をするほど歌舞伎自体は大好きなのです。私の母の叔父が現役の歌舞伎役者でもあり、琴平にも何度か出演したこともあります。何年か前に久しぶりに出演の機会があったので、その時に初めて芝居小屋の裏口から楽屋に入れてもらったことがありました。楽屋は普段絶対に見られないような空間でした。狭い通路、低い天井、現存最古の芝居小屋と言う名の通り、僅かながらも江戸時代の雰囲気に触れた気がして、歴史好きな自分にはとても貴重な経験をさせていただきました。母の叔父ももう高齢ですが、またこんぴら歌舞伎に出演する機会があれば是非とも観劇しようと思います。

    香川県:40代男性

  • 公演前の朝早い時間帯や公演後の夜間など役者さんが琴平町内を散歩したり、お店でお酒を飲まれたりと琴平町民と役者さんとの距離感が凄く近いことが35年も続いている秘訣の様な気がします。今年も朝お店(自営業)を開けたら目の前に勘九郎さんが居た時は、腰を抜かしそうになりました。(笑)

    香川県:40代男性

  • 2009年(第25回)中村勘三郎さん座頭公演「俊寛」当時、私は琴平町内の小学校に勤務しておりました。「町内の子供たちに本物を」ということで、本公演前に子供たちを引率し、おけいこの様子を見学させていただくという幸運に恵まれました。子供たちは、とても元気。「上手に拝見させていただけるかしら?」と不安もありながらの参加でした。ちょうど「俊寛」のクライマックス近く、舞台の暗転も人力でしたので、両サイドの戸の開閉で行われていました。私たちには全く分からなかったのですが、おそらくほんの少しその開閉のタイミングがずれたのだと思います。ピーンと張りつめた空気の中、勘三郎さんの「今のところ、もう一度やりましょう」とおっしゃる穏やかな声が響いたとたん、小屋の空気はさらにこおりつくような緊張感に包まれました。元気ハツラツ、やんちゃな子供たちも微動だにせず、勘三郎さんのオーラにのみこまれていきました。「本物の力」を肌で感じた瞬間でした。このような素晴らしい経験をさせていただき、感謝の気持ちで一杯です。

    香川県:60代女性

  • 私は第8回~13回迄お茶子さんのボランティアをしました。第8回公演の折、5代目勘九郎丈のファンでもある宮沢りえさんと花道袖側で偶然 お隣になったり、オペラ歌手の林康子さんと写真を撮ったり、お顔なじみになった澤村藤十郎丈からはお声をかけていただきました。 千穐楽前日 紅梅亭での交流会では役者さん方と歓談&ツーショット写真&サインetc.良き思い出となりました。 琴平町より記念品としてこんぴら歌舞伎テレホンカードを当時のお茶子担当の泉さんより送って頂き大切にしていて今回改めて懐かしくお思い出しました。 今回も6代目勘九郎丈が「高杯」を演じられ年を重ねるごとに講演日数も増え、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」がこれからも地域の発展に大きな存在であることを願ってます。

    香川県:70代女性

  • 初めてお練りを見ました。勘九郎さんがとっても気さくな方でファンになりました!琴平駅前の桜とマッチして絵になってました。来年は公演をみたいと思います。

    香川県:50代男性

  • 歌舞伎を観たこともなかった頃、たまたまこんぴら歌舞伎の事を知り、ハガキで申し込んだが外れ。ダメ元で後日電話をすると良い席が空いていると1枚だけ取れた。生まれて始めての歌舞伎。舞台が近く歌舞伎の虜になり、それ以来毎年おじゃましています。

    高知県:50代女性

  • 一度観たいと思っていたこんぴら歌舞伎ですが、なかなかチケットが手に入らなかったり、予定が合わなかったり。今年初めて観に行くことができました。松山からお友達も初めて観に来ることになっていましたし、高松の妹も一緒に3人でとても楽しみにしていました。ところが、こんぴら歌舞伎を観に行く4日前に、私は自宅の階段から足を滑らせて左脚骨折。金丸座までは坂道だし、半分あきらめるしかないかと思ったのですが、せっかくのチャンス。松葉杖を両脇に、金丸座まで行ったのです。入り口は狭くて入りにくかったのですが、係の男性が優しく声をかけてくださいましたし、脱いだ靴まで手にとっていただきました。中の階段ではお茶子さんが側に寄り添って上まで案内してくださいました。トイレ休憩の時も、席を覚えていてくださって、案内していただき本当にありがたかったです。演目もたいへん面白く、足はパンパンに腫れていたのですが、満足感でいっぱいの一日になりました。足のせいで、参拝も出来ず、参道に並ぶお店も、ゆっくり見られなかったのですが、次の時には是非ゆっくり過ごしたいと思います。

    香川県:50代女性

  • 平成から令和に変わり、新しい時代を迎える事になりました。私はよくこんぴら歌舞伎を見に行かせていただきました。中でも、第25回の記念のこんぴら歌舞伎で、第18代中村勘三郎親子の共演が印象に残っています。中でも、いつも満席になる為、地元の人に貢献出来ないという事で、はじめて、舞台に羅漢席を作られた、勘三郎さまの心の温かさに感動しました。最後の挨拶で息子、6代目勘九郎さまの婚約をポロリといってしまわれた事も親の嬉しい気持ちの表れだったのでしょう。

    岡山県:70代男性

  • すみません。まだ生で歌舞伎を見た事がなく応募しています。さぞかし 素晴らしいかと思います。日本古来からの格式高い芸の素晴らしさ一度でいい家内に見せてあげたいと思います。

    香川県:60代男性

  • 職場の回覧板で こんぴら歌舞伎の抽選に当たり 職場の人達と見に行きました。歌舞伎に無知な私でも 楽しく身近に歌舞伎を感じられる時間を過ごしました。勘九郎さんをはじめ、皆さんの演技は素晴らしく どんどん惹きつけられ あっという間に終わってしまいました。 ワクワクドキドキ お土産も頂き最高の日でした。ありがとうございました。香川県にこんぴら歌舞伎座がある幸せを もっと皆さんに知ってほしいですね。 来年も行きたいと思っています。

    香川県:50代女性

  • 2011年に岡山に引っ越しをし、念願のこんぴら歌舞伎を観に行くことが出来ました。 翌年からは、お茶子としてお手伝いもしています。 昨日(4/21)は、千穐楽でした。千穐楽おめでとうございますの挨拶とお餅つきのイベントもありました。 終演後は、役者さんをお茶子姿のままで、お見送りしました。 毎年桜の咲く頃に、今ではライフワークになっています。 今年も、知った顔ぶれのお茶子さんと再会し、休憩時間には、役者さんの話、歌舞伎談義も楽しいです。これからも元気で、続けていきたいです。

    岡山県:60代女性

  • かれこれ40年前金刀比羅温泉へ旅行へ行った際に観劇があり、始めてお客一体となり参加。非常に驚きまた!感動は今でも思い出せれます。

    兵庫県:70代女性

  • 10年前のコンピラ歌舞伎で、夜の部観劇後、泊っていたホテルで役者さんはどのホテルにお泊りかご存知です?と伺っても、知らないと言われたのですが、大浴場の付近で、大好きな大好きな風呂上がりの当時勘太郎さん(現6代目勘九郎丈)とすれ違い、失神しそうになりました。同じ屋根の下でご一緒に泊まってると思うと夜も眠れず素敵な一夜でした。翌朝コンピラ様のお参りの帰りに扇雀さんとすれ違い気さくにご挨拶をしていただきました。勿論歌舞伎は素敵ですが、役者さんとすれ違うチャンスが高いのも魅力ですね。雀右衛門丈襲名の際は、ホテルの朝食でお隣となりまたまたご挨拶をさせていただきました。歌舞伎の舞台以外でも役者さんと触れ合う機会が多くワクワクします。今年も勿論お邪魔します!!

    東京都:60代女性

  • 昨年94歳で亡くなった母が大の歌舞伎ファンでこんぴら歌舞伎はいつも着物を来て観劇していました。その気持ちを汲んで私は母の着物を着てこんぴら歌舞伎を見るようになりました。 なんでわざわざ着物を着て行くのか?と母に聞くと役者さんは観にきている人を舞台から観て着物を着ていたらきっと嬉しいはず.こちらもきちんととする事が大事と言っていました。歌舞伎は母の着物で行くのが亡くなった今でもできる親孝行だと思います。

    香川県:60代女性

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